高知県 偉人

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高知県の偉人は雄大な自然から生まれた

偉人を育てた自然

高知県を囲む、雄大な自然。土地の約85%を占める豊かな緑。そこから湧き出る美しい清流は、やがて黒潮流れる太平洋へと注ぎ込む―。そんな大自然から、高知県は数々の恵みを受けてきました。新鮮な海・山・川の幸で彩られる、郷土料理の数々。自然が織り成す絶景。そして大自然が育んだ、自由で大らかな人の心。実際に高知県からは、歴史にその名を残す多くの偉人が誕生してきました。山内一豊坂本龍馬板垣退助中江兆民・・・。南国土佐の熱き風をその心にまで吹かせ続けた、高知県の偉人たち。その熱き生き様をご紹介します。

高知県の偉人たち

四国統一を成し遂げた偉人・長宗我部元親

戦国時代、土佐には7つの大きな豪族が力を誇っていました。「土佐七雄」と呼ばれたその時代を最後に制し、岡豊城を拠点に力を持ったのが長宗我部氏。長宗我部元親の時代には、「一領具足」と呼ばれる制度を用い、農民たちを戦の時だけ兵士として出兵させることで勢力を拡大。ついには土佐統一を果たします。元親はさらに四国征伐に乗り出し、一度はそれを成し遂げるものの、豊臣秀吉に敗れ土佐一国の支配に再びとどまります。

山内氏による土佐支配―大河ドラマになった高知の偉人

その後関が原の戦いが起こり、石田三成に味方した長宗我部氏はその敗北と共に滅亡。代わって徳川家康に味方した山内一豊が、土佐一国を任されることになります。慶長6年には現在の高知城を築城。その陰には妻・千代の内助の功があったことが知られており、2006年には夫婦二人三脚の物語がNHK大河ドラマにも取り上げられました。その後も山内氏は、286年間、16代に渡って土佐を支配。その間には執政役として野中兼山が登用され、厳しい政策を打ち出す一方、産業や土木業に大きな発展ももたらしたこともありました。やがて時代は激動の幕末へ―。その揺れ動く時代に藩主としての役割を担うことになったのが、第15代藩主・山内容堂でした。

 

幕末・土佐の偉人が列挙した時代

容堂は吉田東洋を起用して藩政改革に着手。しかし、公武合体論を説く東洋に対し、尊皇攘夷を訴える動きが静かに高まりを見せていました。その先頭を担ったのが武市半平太。半平太は「土佐勤王党」を結成し、意見の合わない東洋を暗殺。一度は政権を掌握したかに見えましたが、文久3年の政変により、自らも投獄・切腹させられてしまいます。一度は土佐勤王党の同志として尊皇攘夷を目指した坂本龍馬中岡慎太郎らは、脱藩し薩長同盟を目指して奔走。龍馬はさらに後藤象二郎とも接近し、「船中八策」を提案。後藤は龍馬の案を元に山内容堂へ進言し、ついに徳川家に大政奉還を建白させるのです。

土佐の偉人・経済や文化の面から

政治以外にも、大きな功績を残した土佐の偉人がいました。坂本龍馬に外国への目を開かせたとして知られるジョン万次郎の存在も忘れてはなりません。彼は単独でアメリカへと渡り、英語や数学、航海術などを日本に持ち帰りました。幕末に生き、経済の面で敏腕を振るっていたのが、岩崎弥太郎。極貧の幼少時代から三菱財閥を築き上げるまで、弥太郎を突き動かしていたのは努力と野心だったのです。明治時代以降は、植物学者・牧野富太郎や物理学者・寺田寅彦など多くの学者も輩出。日本国内だけでなく、世界にもその名を知らしめることとなりました。

自由を愛した土佐の偉人たち

明治時代の始まりと共に大きな高まりを見せたのが、自由民権運動。これには板垣退助後藤象二郎など、高知県の偉人たちが多く関わっていました。「東洋のルソー」とも呼ばれた中江兆民も、自由民権運動の理論的主導者として活躍しています。幕末から活躍を続ける土佐の偉人たちは、誰もが自由を愛する精神を胸に携えていました。そしてそれに向かってひたすら突き進んだのです。彼らの活躍は今なお語り継がれ、「自由は土佐の山間より」とうたわれています。そして今も土佐に暮らす人々に、その精神は受け継がれているのです。

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土佐料理司・ねぼけ