安芸城跡
安芸城跡は城がなくなった今でも、当時の面影を漂わせて残っています。
安芸城は安芸平野のほぼ中央の丘の上に位置し、広さは約10ヘクタールほど。山頂の本丸には今は土塁が少し残っているだけですが、ここから安芸平野とその向こうの土佐湾を一望できます。さらに内堀やその土で作られた土塁、枡形の虎口もあり、安芸城があった頃の面影を偲ばせます。
安芸城周辺の土居は安芸城が栄えた時代からずい分とたった山内氏支配の時代に、家来の五島氏によって整えられたものです。当時の面影を残す武家屋敷が並び、今はなき城を守っているようです。
【安芸城跡地 観光】 井戸や石組み、濠などが残り、敷地内に歴史民俗資料館や書道美術館が建つ。外堀に咲くスイレンの見ごろは6月。
安芸城の歴史
◆ 安芸城のはじまり・安芸一族による支配
安芸城は1309年、当時この辺りを支配していた安芸氏によって建てられたと言われています。安芸氏一族は安芸城を拠点に鎌倉時代にかけて勢力を強めた豪族で、南北朝時代には守護・細川氏の援護を受けて栄えました。
◆ 安芸城の戦い
戦国時代には安芸国虎が勢力を強めますが、この頃西の岡豊城を拠点に急速に力を伸ばし始めた長宗我部氏との争いが熾烈を極めるようになります。そんな中、安芸氏の家臣の中に長宗我部氏側に寝返るものが現れ、安芸城の井戸に毒を投下。井戸の水を飲んだ家来が次々と倒れ、状況は安芸氏に不利に傾き始めます。最終的に安芸氏は家臣を助けることを条件に自らは自害、安芸城は長宗我部元親の弟、親泰の手に渡ります。
◆ 安芸城周辺に建った武家屋敷
長宗我部氏支配の後、関が原の戦いの功績により徳川家康から土佐一国を任された山内一豊が入国。一豊は家老の五島為下に安芸城を任せ郡政の拠点とします。五島氏は自ら安芸城の近くに屋敷を構えるとともに、安芸城周辺に家臣たちの屋敷を整えます。
安芸城は300年の徳川時代を安芸の拠点として無事に務め上げました。その後一国一城の令によって安芸城は廃城となりますが、周囲の屋敷はそのままに残されます。その武家屋敷群がいまなお当時の姿をとどめる土居廓中は多くの観光客を集める観光地にもなっています。
*安芸城郭は見学自由、無料
安芸城跡アクセス |
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| 安芸城跡所在地 | 高知県安芸市土居 |
| 安芸城跡アクセス | 土佐くろしお鉄道「安芸駅」から元気バス循環一ノ宮線で7分、「西木戸」下車。 |
| 高知市街から55線で40km、約1時間 | |





